■20190526/彼女が過ごした40年の時を見た、滝沢恵さんの記念リサイタル

2022年6月12日ライブレポート

北鎌倉の駅を降りた僕を出迎えたのは、ほのかな蚊取り線香の匂いと、ウグイスの鳴き声だった。

生命力溢れる緑を抱いた小さな山々が間近に迫る、鎌倉ならではの風景を眺めながら街道沿いを歩いた。暑い日差しと涼しい風。初夏から夏への変遷のさなかにいることを感じながら、滝沢恵さんの舞踊生活40周年を記念したフラメンコリサイタルが行なわれる建長寺の竜王殿を目指した。


20190526/建長寺

初めて恵さんの踊りを見たのは去年の7月のこと。彼女の40年にも渡る舞踊生活のうち、申し訳ないくらいわずかしか見ていないのだが、初見の時にこんな感想を書いている。

「太く揺るぎない軸を持ち、素早い動作と美しい動作が絶妙に配合された、なんとも素敵な踊りではないですか😍😍

その「太く揺るぎない軸」は、彼女がフラメンコを踊り込んだ経験や、人生経験からくるものだろうと常々思っていた。だから「追憶の詩」と題されたこのリサイタルでは、フラメンコに捧げた彼女の生き様の片鱗が見られるに違いないと、前々から楽しみにしていたのだった。


20190526/この日のリサイタルのフライヤーです。

竜王殿の中には、畳の上にコンパネを敷き、椅子を並べ、即席のステージが作られていた。観客の熱気を扇風機がかき回す中で、リサイタルは始まった。

まず最初に思ったのは、「音」が違う。森川拓哉君のバイオリンも、山崎まさしさんと今田央さんのギターの音も、普段タブラオで聞くよりも優しい色気と深みに満ちていた。音響スタッフの手腕なのか、あるいは、木と畳に囲まれた竜王殿だからなのか。粒が揃った音が心地よく心に響いてくる。

そこに大らかで、優しさと悲しみを深く歌い上げるパコの歌、切なさを訴求して止まない森薫里さんの歌が重なるのだ。

充実した音と歌が幾重にも空気を染め、移ろい行く。普段荘厳であろう竜王殿は、さまざまな情景が交錯する叙情的な空間へと変わっていた。

そんな中で恵さんは――

なんとも透き通った空気を帯び、凛として踊っていた。

力強いファルーカ。
華やかな衣装のセラーナ。
道に迷ったかのようなタラント。
重苦しくも逞しいペテネラ。

踊りですべてを表現するのではなく、音とともに世界を描いていく。

間に挟まるムシコスの演奏、カンテソロも素晴らしく、「ベネズエラのワルツ」の今田さんと森川くんのユニゾンは鳥肌が立つほど美しかった。

相当音を意識していたことは、1曲めのファルーカにつけられた「空間に満ちる音たち」とのタイトルからもわかる。

そしてそれが、素晴らしい世界を我々の前に展開してくれた。

強く、逞しく。
華やかで、でも重く。
何かにピッタリと寄り添い、そして流れてゆく。

恵さんと出会ってまだ1年にも満たないが、彼女が過ごした40年もの月日を舞台の上に見たような気がした。


当日のフライヤーより。ラストの曲「アルフォンシーナと海」の歌詞。

最後は、亡き旦那様のダビ・ラインフェスタの思い出の曲「アルフォンシーナと海」を娘のオルガさんが朗読し、美しく、切ないメロディーを薫里さんが歌い上げた。

歌の後には、恵さんが青い衣装で現れ。

優しい波のように衣装を翻して踊り。

白い靴で、砂浜に消える白波のような足を打って、フィナーレとなった。

こうして感想を書いている今も、最後の恵さんの白い靴が目に浮かぶ。

その足の打ち方も。

締めくくりの瞬間は、彼女の胸の底にある想いが凝縮した瞬間だったように思う。儚く過ぎる時。儚く消え行く命。しかし人は、愛する人たちの胸に、世界に向けて、何かを刻みながら生きている。

竜王殿で行われたこのリサイタルもまた。日本中から訪れた彼女の教え子や友人、また中学や高校からの友人。地域も年代も幅広い人達が集まり、彼女の舞踊生活40週年を祝うと同時に、彼女の今の姿と生き様を胸に刻みつけたことだろう。

アルフォンシーナは海に消えてしまうけれど。

波は寄せては返し、また寄せるもの。

次なる恵さんの新しい波を予感してしまう素晴らしいリサイタルでした☺️

恵さん、舞踊生活40周年おめでとうございます‼️ぜひ50週年を目指してください😆😆‼️

そういえば…よく考えたら、僕も文筆稼業30周年だった🤣


20190526/初夏の風が吹き抜ける建長寺の境内。

※この記事は、2019年5月27日にFacebookに掲載した記事を再構成したものです。